アラサー主婦、スペインで大学院生になる。

夫の都合でスペインに引っ越した三十路半ばの主婦が、大学院生になりました。渡西一年でDELE B2をギリギリ取得、ぜんぜん足りないスペイン語力に苦しめられながら、翻訳を学び中です。 

修士論文の指導教官との顔合わせ1

私が通う大学院は、1年制である。入学早々、修士論文の準備を始めよとの要請があった。

私の専攻は、翻訳である。しかも、英文学をスペイン語訳する、というのが主な内容だ。普段の授業では、母国語をまったく使わずに何とかしのいでいるわけだが、修士論文となると、自分のバックグラウンドである「日本」や「日本語」の要素を全く入れずに書くことは不可能だし、仮に英語とスペイン語とその文化圏に関する内容に終始した、それっぽいものを無理やり書いたとしても、論文としてぜんぜん面白くないだろう。

しかし、問題は、我らが教授陣の中には、日本語を理解する人間がいないことである。

そこで、苦し紛れに思いついたのが、「英訳された日本文学作品で、まだスペイン語訳が出ていないもの」の「スペイン語訳を提案する」という方式の論文である。かといって、私の稚拙なスペイン語訳を延々記しても、これまた面白くもないうえに論文の体を成さないので、「スペイン市場における日本文学の受容」だとか、「日本文学作品を、英訳を経た上でスペイン語訳することの問題点および課題」などを論じつつ、ページ数を稼ぐ算段だ。

指導は、元編集者で、現役作家にして比較文学の学者でもあるアメリカ人教授、V先生にお願いすることになった。

さて、V先生は、初顔合わせの場として、この街が誇るお洒落書店、La Centralのカフェを指定してきた。こんな感じで、書店にカフェが併設されている。

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おしゃれ!!!!

こういう雰囲気、久しぶり。働いていた時ぶり!いいね!

書店のホームページ↓↓  

https://www.lacentral.com/

東京でいうと、青山ブックセンター六本木店みたいな感じだろうか。

とにかく、待ち合わせ場所にテンションが上がり、俄然やる気が出てくるのであった。

続く。

 

 

 

夫の転勤と妻の仕事

夫は転勤族で、海外志向の強い人間なので、私たち夫婦がいつか海外に住むことになるであろうことは予想していた。

そしていよいよスペインへ行くことが決まった時から、私は自分の身の振り方を考え始めた。

新卒から勤めた会社を退職したこと、これからも転勤し続けるであろう夫のことを考えると(そして、夫と同居し続けると仮定すると)、これから先、私には、「一つの会社で職務経験を積んでいく」という、いわゆるクラシカルな日本風キャリアアップは厳しいだろう。

私は、受験や就職でそれなりに「成功」し、経済的に自立した「総合職の正社員」の自分に、ひそかに誇りを持っていた。改めて文章にすると、凡庸すぎて陳腐、それでいて限定的な場所でしか通用しない視野の狭い価値観だが、それは確かに私のアイデンティティを支えていた価値の一つだった。

だから、仕事を辞めることは一大決心だったし、不安もあった。しかし、その不安を夫に訴えたところ、不満そうな顔をされた。

「何が不安なの?収入がなくなること?俺と一緒にいれば、贅沢はできなくても、お金に困りはしないでしょ?今の仕事が好きなのはわかるけど、経済的な自立がどうとかいう主張に関しては、よくわからない。」

私は夫のこの回答に愕然とした。軽んじられていると思った。

夫もまた、受験や就職で「成功」し、経済的に自立した「総合職の正社員」にも拘わらず、私がこれまで積み上げてきたものを一気に失うつらさを想像もできないのかと、ちょっとでも自分の立場に置き換えて考えられないものなのかと、がっかりした。

「スペインで大学院の翻訳学科へ行く」と宣言した時、夫に私の本気が伝わっていたのかどうかは、今でもよくわからない。彼は、話半分に聞いていたような気もする。

実際、私のキャリアに関しては、夫婦で何度か言い合いになったし、私がスペイン語を必死で勉強する姿より、たまに日本人奥様たちとのお料理教室やランチなどに交じっている姿を好む夫に、とても嫌な気分になったりした。夫の中にある、「俺についてきてくれる奥さん」像を、無理やり押し付けられている気がした。そして、私はそういう奥さんには全然なりたくないのだった。

しかし、そういう状態は、私のスペイン語力が上がるにつれ、徐々に解消されていった。語学学校に通い、1年弱でぎりぎり大学院の入学条件を満たすDELE B2を取得し、何とか翻訳学科にもぐりこんだ。B2は、翻訳を学ぶにはだいぶ厳しいレベルだが、テレビのニュース、新聞などは集中すればだいたい理解できるし、生活には全く不便しない。新しい道へのささやかな自信が生まれ、それが私に心の余裕を与えた。

まだまだ未熟ながら、ひとつひとつ結果を出す私を見て、夫の反応もまた、少しずつ変わってきたような気がする。

勉強に疲れた時の休憩法(おすすめスペイン語ソングたち)

夫に同行してスペインへ行くことが決まってから、5か月後に仕事を辞めるまで、会社員として働きながらスペイン語の勉強をしていた。

通勤、昼休み、退社後の時間を活用していたわけだが、疲れてやる気が出ないタイミングというものは、どうしても定期的にやってくる。

そんな時は、ひたすらApple Musicから適当にダウンロードしたスペイン語圏の音楽を聴いていた。別に音楽にもスペイン語文化圏にもぜんぜん詳しくないので、本当にいい加減に検索して見つけたpopsやhiphopだ。ちなみに、適当検索でヒットするのは、スペインや他のラテンアメリカ諸国の音楽に比べ、メキシコ産のものが多かった気がする。

やる気が出ない時というのは、無理に取り組んでも効率が悪く、単語の一つすら覚えられないし、音声教材のレッスン内容も全く頭に入ってこないものだ。そこで、本当に何も考えず、職場近くの珈琲屋で、ただひたすらボーっと音楽を聴くに徹する時間を作った。

コーヒーを前に20分ほど無心で音楽を聴くことは適度な息抜きになるらしく、若いメキシコ女子がスペイン語で奏でるラブソングを聞いているうちに、不思議なことに、「勉強しなきゃ!」という気になって来るんである。この方法は結構侮れない。

ちなみに、以下が私のやる気低下の度に、大いに助けてくれたスペイン語ソングたちである。

Enrique Iglesias Duele El Crazon

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Belinda Vivir

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Rebeca Lane Poesía Venenosa

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カヴァとワインと、時々ホッピー

Twitterのタイムラインで、マカロン論争とやらが盛り上がっていた。

何でも、マカロン嫌いの男性が、「マカロンを本気で美味しいと思っている女性なんて実際そんなにいないだろ?結局マカロン食ってる『可愛い自分』が好きってだけ!」というような趣旨の発言を投稿し、物議を醸しているらしい。

カロン・・・。10年前くらいにすげー流行ってた記憶があるけど、その人気はまだバリバリ健在なのか。30代になってから、糖分はほぼアルコールから摂取している私は、パティスリー業界の動向にはとことん疎くなってしまった。

1日あたりの酒量が現在の5分の1程度だった20代前半の頃、私もたまに百貨店の外資系洋菓子店にて、マカロンを購入していた。マカロンの御供は、もちろんわれらが名だたるスペインの銘酒、カヴァである。というか、カヴァの御供がマカロンだったと表現した方が正確で、マカロンがチョコレートやチーズになることもあった。そのうち、カヴァの量だけが飛躍的に増え、甘いものは欲しくなくなってしまった。

スペインに全く縁がなかった大学生の頃から、私はカヴァに目がなかった。別に銘柄にこだわっていたわけではなく、とにかく発泡している葡萄酒が好きなのである。発泡している葡萄酒の中で、近所のスーパーで手軽に買えて、お財布にも優しいのが、たまたまカヴァであったのだ。

そういえば、「カヴァ(発泡している葡萄酒)が好きだ」と発言すると、会話相手によっては、「おしゃれですねー!」と返してくる。スペイン在住の日本人にさえ、そのような返答をしてくる者がいて、非常に驚いた。そして、その反応は、件のアンチマカロン男子に似ているのだと、今書いていて気付いた。

ちなみに、私がカヴァの次に好きな酒は、ホッピーである。ビールとはまた違った、爽やかな苦みと、さりげなく主張する麦焼酎の薫りがよい。幅広い種類のつまみと相性が良い点も優れている。

この街では、カヴァは飲み放題であるが、ホッピーを見かけたことはない。和食レストランに置いてあるのも、日本酒、日本産ビール、焼酎あたりである。あとはとにかく、ワイン、ワイン、ワインである。日本人経営の本格的な寿司屋であっても、メニューにはカヴァが堂々とラインナップ入りしている。この街の人々は、いつでも、どこでも、誰でもワインを飲んでいて、カヴァやらワインやらがお洒落だという発想は皆無だと思われる。

確かに、カヴァを注ぐ用のチューリップグラスやフルートグラスは、キンミヤ焼酎のタンブラーより、見ようによってはお洒落かもしれない(これも意見が分かれるところではあると思うが)。しかし、飲み物だとか食べ物自体がお洒落だったり、可愛かったりするという価値観、これはいったい、どこからやってくるのであろうか。

このような価値観を持つ者に共通する点、それは、食に対する圧倒的な愛の欠如であると私は思う。その証拠に、私の「カヴァが好きだ」という発言に対して、「おしゃれですね」と返す人間の8割は、下戸か酒に弱いかのどちらかである。残り2割は、酒リテラシーが足りていない者たちだ。彼らにとって、酒とは単に酩酊するためだったり、気が合わない人間同士のコミュニケーションを無理やり成立させるためのツールにすぎない。つまり、酒に対する愛情がぜんぜん足りていないのだ。

たとえカヴァやワインに興味がなくとも、自身も日本酒だのウィスキーだの心から愛好する酒リテラシーの高い人間は、「おしゃれですねー」などという返しはしない。ジャンルは違えど、同好の士であることは、ちょっと言葉を交わせばすぐに伝わるからである。

あー、ホッピー飲みたい・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マダム先生

「英文学翻訳演習」のO先生は、マダム系だ。

翻訳の道ひとすじで40年、学部長もつとめていらっしゃる。

比較的カジュアルな人の多いこの街でも、ワンピースやセットアップでキメている。

英国が大好きで、休みのたびに訪れているらしい。

 

入学直後に行われた、マクドナルドでのクラス懇親会でも、早速イケてるグループの女子らに、「あの先生って贔屓するらしいで!」と噂されていた。まだ1回しか授業を受けていなかったにもかかわらず、である。そんな存在感のあるO先生なのだ。

 

そんな先生が、先週、クラスでイギリス人学生と話していた。

曰く、「翻訳は、自分の母語でするものですわよ。この道40年の私でも、特に文学作品を、たとえば英訳することなんて到底考えも及びません。私の言葉は、スペイン語。ひとつの言語持つ広がり、奥行きには、母国語話者にしか踏み込めない領域があるものですの。」とか。

イギリス人学生は、それを聞いて正直微妙な表情をしていた。

私も同じ表情をしていたと思う。

このクラスには、スペイン語非ネイティブが4人いる。私たちにとって、スペイン語は外国語で、「英文学翻訳演習」は、英語を、外国語に翻訳する作業だ。

先生にそういうつもりはないであろうが、この発言は、われわれ4人の努力を真向から否定しているように聞こえなくもない。

ちょっと無神経ではないかなと感じたひとコマであった。

 

 

 

 

外国語を、別の外国語に翻訳するということ。

私は今、スペインの大学院で、英文学のスペイン語翻訳を学んでいる。

同級生のほとんどは、スペイン語ネイティブのスペイン人で、クラスにアジア人は私しかいない。

この学科に自分以外の日本人がいないであろうことは、入学前に想定していた。

英語をスペイン語に訳す作業なんて、日本語が母語の人間にとっては、ものすごい不利だし、正直、自分だけの都合で留学先を選べる状況だったら、私だって、同じ翻訳学科にしても、「スペイン語と日本語」で学べる場所を選んだだろう。

でも、この街には、日本語を活かせる学科は存在しない。

だから、英・西間のプロの翻訳家にはなれないとしても、英語もスペイン語も伸ばせるであろう、今の学科を選んだのである。

昔から読書が好きで、文章を書くのが好きで、日本人としては、ちょっとばかり英語が得意だから。

厳しい状況は覚悟の上でのぞんだことだが、やっぱりきついなーと思うこともしばしばある。

英文テキストの理解に問題がなくとも、私のスペイン語文はところどころおかしい。英文の理解だって、もちろん完璧じゃない。

前述した通り、「ほとんどの同級生」は、スペイン語ネイティブだが、実は、私が想像していたより、クラスの外国人率は高かった。

クラスには、イタリア人、イギリス人、ロシア人がいる。

一番「こたえるなー」と感じるのは、彼らの活躍を目の当たりにしたときである。

なぜならそれは、「私は外国人だから」という言い訳が通用しなくなる瞬間だから。

特に、ロシア人女性は、私から見ると、ネイティブに遜色ない、高い言語能力を有している。

ロシア語って、別にスペイン語と似ていないのに・・・。

ここでまた、「そりゃあイタリア人とかブラジル人はできるに決まってるよね!母国語が似てるっていうより、ほぼ同じ?みたいな感じなんだから!私はロマンス言語話者じゃないんだから、しょうがない」という言い訳が通用しなくなる。

まあ、他人は他人。マイペースにやっていくしかないのだが。

若者が何を言っているのか理解できない件

スペインに来て、早1年。

学業を極めるには、まだ圧倒的に足りない私のスペイン語力ですが、意外と大学院の講義は、だいたいの内容を理解できます。先生の喋りって、明朗快活で、外国人にも分かりやすい。

問題は、同級生が何を言ってるのかわからないこと。

私の通う大学院は、夜のコースなので、結構社会人が多いんじゃないかなあと期待していたのですが、予想に反して、同級生の大半は新卒の若者でした。この子たちが、まーあ早口なこと・・・。クラスのsns投稿も、略字、若者言葉のオンパレードで、ちょっと何言ってるんだか良くわかんない。(もしかしたら日本語だったとしても、世代の違いでよくわかんない言葉遣いなのかも)。

うーん、まあ自分も十数年前はあんな感じだった気がしないでもないけれども。

クラスの子たちの雰囲気も、国は違えど、「ああ、大学生の時って、こんな感じだったなあ」と、いちいち懐かしく自分の思い出を重ねてしまいます。マドナルドで何時間も喋ってたり(ちなみに、このマック会合時に飛び交っていた会話は半分くらいしか理解できなかった)、お洒落でかわいい子がいるグループが早くもクラスの中心的な存在になってたりとか。

働いてた頃は、ほんとたまーに、「大学時代なつかしい!戻りたい!」って思ってたけど、実際にその場に入ってみると、やっぱりもう、ああいう時間は、自分にとっては過ぎ去ってしまったものであり、二度と戻ってこない類のものなんだなあと実感します。クラスのパワーバランスとかどうでもいいし、マックに長時間いるならどっかのバーで一杯やってササっと帰りたいし。

会社を辞めて外国に来て、「全ては無!一からリセット!」みたいな気分になってたけど、良くも悪くも、積み重ねた十数年間を無かったことにするのは絶対に不可能なのだなあ。