アラサー主婦、スペインで大学院生になる。

夫の都合でスペインに引っ越した三十路半ばの主婦が、大学院生になりました。渡西一年でDELE B2をギリギリ取得、ぜんぜん足りないスペイン語力に苦しめられながら、翻訳を学び中です。 

夫の転勤と妻の仕事

夫は転勤族で、海外志向の強い人間なので、私たち夫婦がいつか海外に住むことになるであろうことは予想していた。

そしていよいよスペインへ行くことが決まった時から、私は自分の身の振り方を考え始めた。

新卒から勤めた会社を退職したこと、これからも転勤し続けるであろう夫のことを考えると(そして、夫と同居し続けると仮定すると)、これから先、私には、「一つの会社で職務経験を積んでいく」という、いわゆるクラシカルな日本風キャリアアップは厳しいだろう。

私は、受験や就職でそれなりに「成功」し、経済的に自立した「総合職の正社員」の自分に、ひそかに誇りを持っていた。改めて文章にすると、凡庸すぎて陳腐、それでいて限定的な場所でしか通用しない視野の狭い価値観だが、それは確かに私のアイデンティティを支えていた価値の一つだった。

だから、仕事を辞めることは一大決心だったし、不安もあった。しかし、その不安を夫に訴えたところ、不満そうな顔をされた。

「何が不安なの?収入がなくなること?俺と一緒にいれば、贅沢はできなくても、お金に困りはしないでしょ?今の仕事が好きなのはわかるけど、経済的な自立がどうとかいう主張に関しては、よくわからない。」

私は夫のこの回答に愕然とした。軽んじられていると思った。

夫もまた、受験や就職で「成功」し、経済的に自立した「総合職の正社員」にも拘わらず、私がこれまで積み上げてきたものを一気に失うつらさを想像もできないのかと、ちょっとでも自分の立場に置き換えて考えられないものなのかと、がっかりした。

「スペインで大学院の翻訳学科へ行く」と宣言した時、夫に私の本気が伝わっていたのかどうかは、今でもよくわからない。彼は、話半分に聞いていたような気もする。

実際、私のキャリアに関しては、夫婦で何度か言い合いになったし、私がスペイン語を必死で勉強する姿より、たまに日本人奥様たちとのお料理教室やランチなどに交じっている姿を好む夫に、とても嫌な気分になったりした。夫の中にある、「俺についてきてくれる奥さん」像を、無理やり押し付けられている気がした。そして、私はそういう奥さんには全然なりたくないのだった。

しかし、そういう状態は、私のスペイン語力が上がるにつれ、徐々に解消されていった。語学学校に通い、1年弱でぎりぎり大学院の入学条件を満たすDELE B2を取得し、何とか翻訳学科にもぐりこんだ。B2は、翻訳を学ぶにはだいぶ厳しいレベルだが、テレビのニュース、新聞などは集中すればだいたい理解できるし、生活には全く不便しない。新しい道へのささやかな自信が生まれ、それが私に心の余裕を与えた。

まだまだ未熟ながら、ひとつひとつ結果を出す私を見て、夫の反応もまた、少しずつ変わってきたような気がする。